沖田総悟。 彼について名前以上の知識をあたしは持ちあわせていなかった。 何も知らない。 そのことを友人に話したら驚かれた、というより、呆れられた。 あたしが思っているより彼は有名で特別な人物らしい。 今週末は雪だと、天気報も世界史の先生も言っていた。 あたたかい格好を。ストッキングはいてきなさい。あたしは当然のことを 行うかのように、しっかりとその言葉を聞き流した。 そんなもんだ。 何が? ・・・何もかも。 テストが近い。嫌になってしまう。本当に嫌だ。 嫌だといいつつも、こうやって学校に最終下校まで残り勉強してしまう自分の 存在を冷静に認める。 外は雨。気温はあったかい。あしたは冷える。 玄関にはチラホラと生徒の姿があった。あたしみたいに勉強してた人や、部活の人。 クツを履きかえて、カバンから折りたたみ傘をとりだす。 とりだす。とりだす・・・ ない。 なんで、と記憶をさかのぼってみると、昨日も雨だったことに気がついた。 そして傘を家のなかで広げて干してそのままにしておいたことにも気がついた。 お母さんの「傘忘れないで」という声を聞き流したことにも。 あーやっちまった。 駅まで走るしかないんだけど、雨に濡れると制服がにおう。でも、走るしか。 雨は大粒で、止む気配はなかった。 大きなため息をつく。 「傘、忘れたんだろィ」 玄関で躊躇していると、知らない男子に声をかけられた。 横に立っていた。けだるそうに、傘を持って。 変な話し方だなと思った。それでも、彼はかっこよかった。恋や異性にうとい あたしでもかっこいいと思った。 「あ・・・はい」 「けーご、使わなくていいぜィ。俺たち、同じ学年だし」 雰囲気に余裕がただよっていたから、彼は先輩なんだろうと勝手に決めつけて いた。 けど違ったらしい。 え? と驚いたのが顔に出ていたみたいで、彼は不思議そうに、でも興味ぶかそう に笑った。 「俺のこと知らないの?」 「うん」 「俺は知ってるけどねェ、サン、でしょ」 「なんで知ってんの」 「だって入学式にあいさつしてた」 あたしですらそんなこと忘れていた。 4月の入学式。もう半年以上たった今、あたしの脳内では「あいさつ」のことはくだらない日常生活 の反復と同じ「過去」のカテゴリにひとまとめにされていた。 それを、名前も知らない同学年の男子が覚えていた。 あたしが知らなかったり、忘れていたりすることばかりでうまく会話が成り立たない。 気まずくて、外をながめた。 雨。 「・・・これ使って下せぇ」 「え、でも」 「俺、家近いから」 その男子はあたしにうすい青色のビニール傘を押しつけた。 何本か、骨が折れていて、不安定に揺れる。 受けとるときに少しだけ手が触れて、その手はひんやりと冷たかった。 プラスチックの柄に書かれた持ち主のクラスと名前におどろいて、ありがとうと言う前に 、すでに彼は雨のなかに消えていた。 あしたの朝、まっすぐZ組に向かおう。 そう決意しながらあたしは沖田総悟の傘をゆっくり開いた。 06/11/11あしたの朝 |